本能寺の変の黒幕に迫る!科学分析による新常識!14の謎が分かる神社仏閣②

最新説 本能寺の変の黒幕に迫る
天下統一を目前にした織田信長が討たれた、【本能寺の変】
京都では近年のホテル建設に伴って発掘現場から色々見つかっています。最新の本能寺の変の謎が分かってきているので新事実が分かるのがとても楽しみです。
【本能寺の変】
1582年 戦国の世の終焉を目指し、天下統一を目前にした織田信長が突如として家臣の明智光秀に裏切られ京都の本能寺で非業の最期を遂げる
明智光秀の犯行動機は未だ分かっていません。しかも、その裏には黒幕がいたんじゃないかと事件当時から言われています。
一体なぜ光秀は信長を討ったのか、黒幕は存在したのでしょうか。
本能寺の変に隠された14の謎
なぜ信長は光秀に討たれたのか?そもそも光秀は信長の家臣としては新参者でした。滝川一益・柴田勝家・豊臣秀吉などの家臣がいました。しかしあっという間に出世して側近中の側近になります。信頼関係で結ばれていた信長と光秀、なぜ本能寺の変を起こしたのでしょう?
本能寺の変に隠された14の謎①比叡山焼き討ちに隠された謎。なぜ信長は光秀を信頼していた?
②光秀を裏で操った人物の謎 なぜ室町幕府最後の将軍が黒幕とされた?
黒幕は将軍?
本能寺の変は黒幕がいたという話はよく聞きますが、色々な人に黒幕説があり証拠がありません。その中でも怪しいのが室町幕府最後の将軍『足利義昭』
信長が義昭に屈辱的な手紙を送り大喧嘩になったことがあるのです。明智光秀は織田信長に仕える前は足利義昭の家来でした。
常國寺
広島県福山市にある常國寺には足利義昭のゆかりの品が多く残っています。
- 扇
- 硯箱(立派な蒔絵が施されている)
- 胴肩衣(足利義昭の使っていた)
なぜ、広島に義昭のものが残っているのでしょう?
義昭が将軍になった頃、室町幕府はすごくおちぶれていました。幕府の力が弱く大名は好き勝手にしていました。そんなときに義昭のもとにあらわれたのが信長。
信長は反抗する大名たちをおさえ義昭とともに室町幕府を立て直したのです。ではなぜ大喧嘩したのでしょう
その最大の原因が信長から義昭への屈辱の手紙です。
尋憲記

義昭にたいして17箇条の異見書です。※今で言うダメだしです。
- 幕府に備えてある米を勝手に売ってしまったと聞きましたぞ!将軍が商売するなど聞いたことがありません!
- 大名たちに馬が欲しいとねだっているそうですな、将軍として情けない行為です
- 部下たちだけではなく民衆までもが義昭様のことを「悪御所」と呼んでいるようです。なぜ悪口をいわれるか考えてみてはどうですか!
ここから2人の関係は悪化し、義昭は信長を倒そうと戦をしかけます。しかし義昭は信長にあっさり負けて京都から追放されます。広島まで逃げてきて復帰のチャンスをうかがいます。それで、恨みを持つ義昭が本能寺の変の黒幕かも?と言われているのです。しかも光秀はは元々義昭に仕えていたから主君が2人いるようなものなのです。
本能寺の変の黒幕の一人とは…
信長に追放された恨みを持った室町幕府最後の将軍・足利義昭なのか!?
足利義昭に関する必読論文14本を収録しています。足利義昭の上洛前の状況、織田信長との関係、末期室町幕府の構造などについて詳解するとともに、足利義昭と信長・織田政権との関係についても詳述。巻末には、付録として足利義昭文書・奉行人奉書目録・幕臣一覧表を掲載しています。