真田幸村の足跡行って良かった日本の城”上田城”
上田城
真田幸隆・昌幸・幸村(信繁)の真田三代は、戦国まれにみる名将の家系です。
- 信玄の片腕、幸隆
- 徳川氏を手玉にとった昌幸
- 大坂の陣で大活躍した幸村
上田城は1583年(天正11)真田昌幸によって築かれた平城です。上田盆地のほぼ中央に位置しています。堀と土塁で囲まれ、虎口(出入り口)に石垣を使った簡素な城ですが、第一次、第二次上田合戦で徳川の大軍を撃退し天下にその名を轟かせました。
2度もの実践経験をもち、輝かしい戦果をあげた城は全国でも例をみない!
東虎口櫓門 ひがしこぐちやぐらもん
南櫓と北櫓の間に作られた櫓門で、2つの櫓をつなぐように門が構えられています。
敵を狙撃するための小窓・狭間(さま)、石落としを設けたり城郭ならではの工夫が随所にされています。
南櫓と北櫓、東虎口櫓門が資料館として内部見学できます。櫓はいずれも造りは同じで2階建て。江戸時代の城主・仙石氏により建てられたものを移築・復元しています。
真田石 さなだいし
東虎口櫓門の外の石垣の中にある、高さ2.5m、幅3mの城内最大の石。
お城に用いる石の大きさは城主の権威を表すもの。必見!
真田家の松代移封の際、信之(信幸)が父である昌幸の形見として持っていこうとしたが、微動だにしなかったという伝説があります。
https://japanesecastles.com/2022/06/03/sanadajinjya-power/